マラウイでの運動会を成功させ、連載「はじめてのUNDOKAI、アフリカへ往く」を終えた小原裕子さん(青年海外協力協会、写真中央)の体験について話を聞くイベントが4月24日(金)の夜、池袋で行われた。小原さんの国際活動の原点でもある協力隊員時代の同僚も参加、講演と質疑応答では裏話も多数飛び出し、予定を上回り2時間以上にわたって行われた。
濱田 優(こむすぽ編集部)
生まれて初めて「音がない瞬間」も経験した
冒頭、マラウイで3月に行われた運動会や、その準備過程を収めたビデオを視聴。ビデオクルーがわざわざマラウイまで同行して撮影した素材も使っており、さながらテレビのドキュメンタリー番組、ニュース番組の特集ばりのできばえ。体験談を聴きに集まった参加者たちが、過去の経緯や当日の様子を理解するのに大いに役立ったようだった。
その後、スライドを使いながら小原さんがプレゼン。開催地がマラウイに決まったのは、短い準備期間しかないないため、しっかり支えてくれる、時間不足を補える協力隊員が現地にいることが大きかったという。ほかに小原さんは、単に今回マラウイでやったこと、感じたことを話すだけではなく、マラウイでの運動会も盛り込まれているスポーツ・フォー・トゥモロー、戦略的二国間スポーツ国際貢献事業などの概要や意義についても説明。スポーツの価値といった内容についても自身の考えを分かりやすい形で述べた。
講演後の質疑応答では、事業の内容についてさまざまな角度からの質問があった。準備段階や当日についてはもちろん、クルーたちのマラウイでの1日のスケジュールなどについても質問が出た。小原さんは、マラウイでは韓国人オーナー経営のホテルで宿泊し、ホスピタリティはよかったが、マタピラ村までは毎日1時間半かけて通う必要があったこと、治安がよいとはいえず女性1人でジョギングをするのは危険といわれ、スタッフとともに走ったことなども明かした。
マラウイの子どもたちについては、「日本人の子どもたちと通じるところがある」といい、理由として、お互いに気をつかいあうことや勤勉な点を挙げた。
小原さんはまた「音がない瞬間」を体験したエピソードも披露。小原さんは過去に青年海外協力隊員としての中米・セントビンセントに赴任しているが、セントビンセントでは電気も通っており車も多数走っていたが(少なくとも赴任した地域については)、マラウイでは電気が通っておらず電線はなく、自動車も走っていないため、「音がない瞬間」に遭遇したという。
また連載でも何度も登場した、マタピラ村に赴任している隊員、坂田真吾氏の功績についても再三言及。彼がいかに地元の人たちに愛されているか、そういう関係性を築いてくれていたからこそ、行って数週間しかたっていない自分たちが運動会をできたのだとおもう、と感謝の言葉を述べていた。
小原さんいわく、今後もこの事業は東京オリパラ(2020年東京オリンピック・パラリンピック)に向けて続けられるが、単に参加人数の実績を積み上げるための、人を集める大きなイベントをやるだけではなく、地元に何かが根付く、継続性のあることをやっていきたいと改めて決意をあらたにしたという。マラウイでもundokaiが続くよう支援したい考えを表明。すでになわとびが流行、体育の授業も充実しているほか、周辺の2校がundokaiの開催地として立候補しているという。
こむすぽの石井編集長は「綱引きの綱以外は現地のものを使ったというのは、継続的な実施にも関係してくるし素晴らしい」と話したほか、自身が総合型地域スポーツクラブを主宰していることもあってか、「ルールややり方を何も知らない状態から練習をスタートして、3週間ほどで本番というのはすごいと思った。ただそのあたりは言葉がなくても通じ合えるスポーツの力によるものなのかもしれない」などとコメントした。
参加者からはほかに、「思っていた以上に現地でundokaiが受け入れられていたし、undokaiへの不満がほとんどなかったことにも驚いた。今後可能性が広がりそうだなと感じた」といった感想が聞かれた。