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東京の中心でアマいと叫んだケモノ【完結編・後篇】 3/3ーーシロウトマラソン挑戦記 Road to Tokyo(7)

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走り終わって気づく「あ、あの部分が痛い!」

ゴールはビッグサイトの裏。「そういえば、2014年の冬コミの帰りは銀座まで走ったなぁ、レインボーブリッジを走って渡ったなぁ」としみじみ思いながらゴールをめざす。

ラストは0.195kmの直線。ラストスパート。横を走る新太郎さんが「ゴールでは写真撮影されるからほかに人がいないタイミングでゴールしましょう」と教えてくれて、「そうかそうか」と思いつつ、もうそこまでくるとタイミングをあわせる元気はなく、ほうほうの体でゴール。すぐに新太郎さんとお互いに写真を撮影した(ら、自分のスマホのレンズが曇っていたのか彼の写真がぼんやりしてしまって申し訳ないことをした)。

goal表情をつくる筆者(撮影・森口新太郎)

そのあと座って足をもみほぐし、メダルやタオル、ポカリスウェットやバナナなどをもらった。ゴール後、ボランティアの皆さんが「おめでとうございます」と口々にいってくれるのが嬉しかった。

goal02ベタですがやりました(撮影・森口新太郎)

振り返って、途中のエイドだけでなく、ところどころたっているボランティアの皆さん、沿道に立つ見ず知らずの方からの声援にあふれたイベントだった。ほかのマラソンイベントもそうなのだろうが、東京マラソンは本当に応援の声・気持ちで成り立っている大会だなと思った。これが大会に出て初めて実感したマラソンの魅力だ。

着替えスペースにたどりつき、服を脱いだら乳首が痛かった。
よく「乳首が擦れるからワセリンを塗っておいたほうがいい」といわれていたのだが、面倒くさがって塗らなかった。さっきまで痛みを感じなかったのに、走り終わって着替えた途端の痛み。アドレナリンの分泌が止まったのだろうか。

そんなフルマラソンだった。
タイムは5時間1分11秒。目標は「ゆっくりでも歩かず完走」だったし、実は「5時間くらい切れないかなあ」と思っていたので、達成はできなかったが、新たな目標ができた。

新たな目標

フルマラソンの2日後、ソフトバレーの練習にでた。週末にはジョギングも再開した。3月に入って2~3日に1回は走っている。

「ただ走るだけで何が楽しいのか。マラソンなんて俺は絶対にやらない」と言っていた自分が、今や時間をみつけては、いや、時間をつくっては走るようになった。正直、昔の自分を知っている人の前では照れくさいが、人生というものは面白いものだと思う。

人生が楽しいか楽しくないか、することがあるかないかは、ちょっとしたきっかけでいくらでも変わる。全然楽しくない毎日でも、好きな人ができただけで楽しくなることもある。自分が楽しめる何かに出合ったら、一緒にいて楽しい人たちと出会えたら、いくらでも楽しめる。

2014年、自分は3人目の子どもが産まれ、マラソンにも出合い、ソフトバレーにも出合い、新しい会社で新しい仲間に出会い、ソフトバレーでは新しい友達ができた。いま書いたのはすべて「新しい出会い・出合い」だが、以前から知り合いの方たちとも交流を深められたと思う。

一方で、40歳になったこともあって、「捨てる」ことも始めた。以前は自分なりに寛容な生き方--「ゆるす」「気にしない」--をしてきたつもりだったが、いつまでも時間はないし、人はそう変わらないし、変えられない。ならば、付き合いたいと思える人とだけ付き合おう、変わってほしい点はあっても付き合いたい人とだけ付き合おうと決めた(39歳になった2013年3月にはブログにこんなことを書いている)

自分なりに決めたこと、そうした心もち、行動の先にあった今回のマラソン初挑戦。応援してくれた家族や友達、「お疲れ様」「がんばれ」といってくださった皆さん、ボランティアの皆さん、主催者の皆さん、そしてアメリカンエキスプレスにはあらためて感謝を申し上げたいと思います。

ありがとうございました。年内サブ4.5めざします!

おわり

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プロフィール
HAMADA Masaru 1974年3月生まれ。新聞記者、金融経済月刊誌編集長などを経てウェブマガジン編集、映像ディレクター。スポーツは中学時代にサッカーを少々。いまはソフトバレーとジョギングをするが、少し前まで「マラソンなんて一生走らない」と思ってました。フルマラソンどころかハーフも10kmも走ったことがなかった。

* この記事は筆者のブログで公開されたものです。