コミュニティ

日本人として後世に伝えたい“殺陣の魅力”

金子早苗(殺陣サークル「殺陣ジョイ」主宰)

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殺陣はスポーツじゃありません!?

2014年秋、東京都内のある小学校から、「子どもたちに殺陣を見せて、できれば体験もさせてくれないか」との打診があった。私たちの殺陣サークルは中央区に社会教育団体として登録しており、区を通してのお話だった。とても嬉しいお話なので、「是非やりたい」と思い、早速区の窓口の方と連絡をとった。話をしていてどうにも違和感を覚えたので、よくよく聞いてみると、どうやら先方の小学校は殺陣を“スポーツチャンバラ”と勘違いしていた……。

殺陣はスポーツチャンバラではない。

武道でなければ、スポーツでもない。

ではなにかというと、“演技”だ。

(となると「こむすぽ」は場違いだろうか?)

スポーツの団体ではなく、文化の団体であると自任している。

件の小学校には、殺陣はスポーツではなく演技、文化であることを伝えてもらった。残念ながらお話は止まってしまったが、重要な点なので譲るわけにはいかなかった。

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殺気、妖艶な美しさ……派手なアクションにはない魅力

 

映像制作の技術が進化し、CGやワイヤーを駆使した素晴らしいアクションが、テレビや映画、ネットなどで多数見られる。だが日本には、先達が築いて私たちまで受け継がれてきた殺陣というものがある。私はその魅力をもっと多くの日本人に知ってもらいたいと思っている。

私は小さい頃から、人形遊びより棒切れを振り回して遊んでいた記憶がある。時代劇も昔から好きだったから、殺陣と出合ったのも、今思えば運命だったのかもしれない。学校を卒業後、地元鳥取県の百貨店で働いていたが、役者になる夢をあきらめられず、26歳のときに書置きを残して上京。東映演技研修所に入って殺陣と出合った。

生涯の殺陣の師と出会ったのは、まだそれからしばらく経って東映を辞めてからのことだ。私の殺陣の師は、演劇好きならご存じであろう、新国劇出身の故・大山克巳(1930-2012)である。

ちなみに、私はわが師から殺陣の基本を学び、「殺陣田村」の所作を学んだ。この「殺陣田村」は新国劇の創立者である、こちらも故人の澤田正二郎(1892-1929)が立案し、そののち新国劇が上演した殺陣の一幕もの。謡曲の田村をかけ、紋付き袴姿で殺陣を演じるため「殺陣田村」と呼ばれている。
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そんな私が感じる殺陣の魅力とは、美しさである。時代劇で、派手なアクションの大立ち回りをチャンチャンバラバラやるのも、それはそれで見栄えもしてカッコいいが、一刀のもとに相手を斬り捨て、懐紙で血を拭く……。生身の人間がかもし出す殺気、その瞬間の妖艶な美しさたるや! 背筋がぞくっとする。

殺陣の魅力を後世に伝えることは、今や私のライフワークだ。新国劇は解散し大山もすでに他界した。だが私はその教えを受け継いでいきたい。殺陣の魅力を、多くの人に、自分が正しいと思う形で伝えていきたいと、改めて決意している。

また殺陣は剣舞と違い、一人ではできないことも伝えたい。「芯」(斬る役)と「からみ」(斬られ役)がお互いに相手の魅力を引き出しあってこそ、成立する演技なのだ。芯が引き立つかどうかは、からみの腕次第だし、からみが引き立てられるかどうかは、芯のリード次第なのだ。

中央区の小学生たちに殺陣を見せる機会はつくれなかったが、先日、私の地元埼玉県志木市の小学1年生には体験してもらえたばかりだ。私たちのサークルが練習している施設が、小学校に併設されていることがきっかけで、30人ほどが殺陣の稽古を見学・体験に来てくれた。後日子供たちからのお礼の手紙が寄せられた。

そこには、「ちょっとこわかったけどおしえてくれてありがとうございました。おとなになったらジョイにはいっていいですか」とあり、とても嬉しかった。

「ジョイにはいりたい」といってくれた志木小の子どもたちへ

こちらこそありがとう。せんせいも、じぶんをしんじて、たてのみりょくを、たくさんの人にしってもらえるよう、がんばるからね。みんなが ジョイにきてくれる日をまってますよ。

 

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金子早苗 KANEKO Sanae(写真中央)
殺陣サークル「殺陣ジョイ」主宰。女優業の傍ら正統派の殺陣を後世に伝えて行くことをライフワークとして活動。殺陣歴約30年。女性だけの殺陣集団・侍小町創立メンバー、大山克巳が設立した大山塾師範。その他日本舞踊「藤亀会」を主宰し、殺陣舞(たてまい)も指導している。

藤亀会・殺陣ジョイ http://www.fujikame.com/